中島の名所
宇和間のやっこ振り 松山市宇和間
   
秋祭(10月初旬)におこなわれている。このやっこ行列は、青少年がやっこの衣装をつけて
はさみ箱・台笠・馬印・大鳥毛・毛やっこ・投槍などを持って供揃いし、賑やかに展開されます。
この行事の由来は、菅原道真が九州へ配流される途中海上で時化に遭い難を避けるため
宇和間に立ち寄ったので、村人はその旅情をやっこ振りで慰めたのに始じまると伝えられています。
懐古館 正賢寺境内(大浦港よりトンネル経由で熊田方面へ約4km)
   
中島の西岸、浄土真宗正賢寺境内にあり、宇和間地区から移されてきた
古い民家、土蔵、木造平屋建ての収蔵庫からなり
江戸時代のものを中心とした農具、漁具、生活物資、日用品など
3000点余りが展示されています。
歴史民俗資料館となっており島内外より多数の方々が訪れます。
中島商工会

〒791-4501  愛媛県松山市中島大浦3054-16
TEL 089-997-0218  FAX 089-997-0569

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忽那文書は、鎌倉時代の初期から室町時代を経て、戦国時代に至るまでの忽那氏関係の
小文書を包含したものです。この文書の数は県下随一。当時の生きた史料として貴重な文献です。
忽那家文書は、「忽那島相伝之証文」(巻子本三巻)、「忽那一族軍忠次第」(巻子本一巻)と
「忽那氏系図」(巻子本巻)から成り立ちます。
この中には、執権北条氏関係のものをはじめ、護良親王の今旨、後醍醐天皇の綸旨
および忽那重清の軍忠状さらに官宣言などの重要な文書が残されています。
重要文化財のため公開できません。愛媛歴史文化博物館にレプリカ出品


忽那義範の記念碑 松山市神浦(神浦港より東へ500m)

神浦龍神社横に建つ、「忽那義範公表忠碑」は
南北朝時代における義範の誠忠を讃えた撰文が刻まれています。
忽那水軍の黄金時代を築いた義範の活動範囲は、東は讃岐方面から
西は伊予灘に至るほど。碑文中には、懐良(かねなが)親王を
かくまい申し上げた忠実が記されています。
びしゃもん堂の秘仏  松山市神浦(神浦港より徒歩5分程度)
   
通称びしゃもん堂に安置されている本尊であって忽那義範が
洛北の鞍馬寺から迎えたと言い伝えられる。
この毘沙門天像は4年毎に(約8月中旬から後半にかけて)開帳され
住民の信仰をあつめている。
秘仏は4年に1回しか見られません。(平成25年に開帳)
歴史民俗資料館となっており島内外より多数の方々が訪れます。
屁ひり地蔵  松山市宮野(大浦港より 神浦港へ約3.5km)
   
宝暦12年。宮野村の庄屋杉野某の邸で、風早の代官を迎えての酒宴の席
床が鳴った音を生理現象と間違われ、無礼うちにされた女中頭おつゆ。
つゆの死に場所に石地蔵が南面して座している。今になお、その哀れはひとしお深い。
文中の板碑   松山市小浜
   
地上高さ1.6m・幅30cmの凝灰岩である。
「愛媛県文化財」に「下部の蓮花座上に地蔵尊が刻まれ
中央部には大文字の地蔵の種梵字が刻まれ、さらにその上部に造立の年紀銘が刻まれている」と
しかし、これは地蔵尊ではなく、種梵字から判断して、東北の守護神の伊舎那天であろうと推定される。
なお南朝の年号が刻まれていることから考えて、忽名氏が本山城の北方の守護神として
建立したものとも考えられる。
桑名神社 松山市中島粟井1232番地(大浦港より粟井方面に約4km弱) 地図
   
平安時代、貴族の牧場とされていた粟井地区。
かつて瀬戸内海航路の中継地であったこの地区に残る
江戸時代の絵馬は全国でも珍しく、貴重な文化財となっています。
貞冶年間の板碑  松山市長師 真福寺089-997-0059(大浦港より神浦方面へ約2km弱)
   
延元元年(1336年)南北朝の時代、忽那一族が2分し、文中の板碑(小浜)が
南朝の年号を記しているのに対し、長師真福寺には北朝の年号を使った
貞治の板碑が建てられました。
今はもう当時の姿もとどめず、苔むす板碑には、かすかに僧侶の像がうかがわれます。
ここ真福寺には四国霊場八十八ヶ所の砂を集めたお砂踏み道場があり多数参拝しています。
忽那家文書